12


 目を覚ますと明は一人だった。西日に蒸され、よどんだ空気と、はっきりしない起き抜けの気分が手伝って、不愉快な気分だった。
そして、将人の姿がなくっている。
将人はどこへ行ったのか。そこらをのんびり散歩でもしているのか。
まさか、記憶が戻り、自分の戻るべき場所へ戻ったのか。
いや、将人は一言の挨拶もなくいなくなるような男ではない。
子供じゃあるまいし、まさか迷子にはなっていないだろうと思いながら、明は立ち上がった。将人を探しに行こう。
 明が、プレハブから外に踏み出したとき、黒塗りのベンツが前の小道に入ってきた。
明は立ち止まる。隆男のベンツだ。
目の前に、車が横付けに止まり、真っ黒なスモークガラスが静かにドアの中に下がる。
隆男が顔を出した。
「どうした? 血相変えて」
「将人が――」
明はどう言おうか考えたが、そのまま話すことにした。
「いなくなった」
 やっぱり。と隆男は思った。
将人の正体を知ったからだ。
一子相伝の古式拳法、拳王流の総帥。そして、九ヶ月前に謎の失踪。
失踪したことが新聞記事になっていたおかげで、隆男はすぐに将人の正体と、その経歴を知ることが出来た。
失踪者となったからには、将人は表の世界で正業に就いて生きられない。
どんな事情かは知らないが、裏の世界にも何らかのつながりがあるはずだ。
隆男が知る限り、失踪者というのは誰にも捕まらないように生きる。だから、ひとつの場所に長居はしないものなのだ。
「あの男がいないと、オマエ困るか?」
「え?」
隆男は訊ねた。
作戦は迅速に遂行されなければならない。時間を食えば、作戦の存在が工藤に勘づかれてしまうかもしれない。
隆男の焦りが、明を冷静にした。
これまで、誰にも弱みを見せたことはなかった。その自負がよみがえった。
「将人は散歩にでも行ってるンじゃねえかな」
「流れモンはひとつところには落ち着かないっていうぜ」
「将人の奴、ちょっとした問題を抱えてるんですよ。だから、ぶらっと歩きたくなったのかも」
「ちょっとした問題、か。あいつは何をやらかして失踪したんだい」
「失踪?」
「あいつとどこで知り合ったんだ? あいつは拳法の達人で、ちょっと前に忽然と姿を消したんだよ」
姿を消したのではない。クラウンに拉致されたのだ。
将人の持つ肉体的資質が、クラウンの科学者の目を惹いたのだろう。
そして、ファラーを植え付けられたか、ガイボーグに改造されたか。
どこまで隆男に話すべきだろうかと、明は考えた。
自分と将人がクラウンという秘密組織の手で、生体兵器に改造されたと話す気はなかった。下手をすれば、クラウンからの追っ手を招き寄せる可能性がある。
適当に話をつくろわねばならないが、嘘をついていると思われるのはマズイ。
「将人は記憶喪失なんです」
「えっ?」
「俺と出会ったときには、もう過去の記憶は失ってました。将人とは、ある工事現場で会ったんです」
明は隆男に作り話を始めた。明はタコ部屋のようなダム工事の現場に流れ着き、工事に従事する労務者たちを束ねる役にありついた。まだ若くなめられたこともあったが、腕っぷしの強さで、労務者たちを従わせてきた。その中に記憶喪失のおとなしい青年がいた。それが将人だった。無口で、誰からも相手にされない将人だったが、いざ喧嘩となると、その強さは群を抜いていた。明は何かと将人に眼をかけてここまでやってきたと。
 「奴が、拳王流とかいう拳法の使い手だとは知らなかったのか」
「ええ。もの凄く強い奴だってのは判ってましたけどね」
「確かに、もの凄く強いようだな。奴がいないと困るか」
「いいえ。俺一人だって、やるべき事はやれます」
隆男は、言い切った明の表情をじっと見つめた。
信じていいのか、明の顔の下から読みとろうとするかのように。
「夜になったら、もう一度来る。それまで待っていろ」
隆男は言って、ウインドガラスを上げた。
甲虫の羽を思わせるガラスに、隆男の顔が隠される。
するすると滑るようにベンツが走り出し、明はその場にとり残された。
 いよいよ大仕事が始まろうと言うのに、将人はどこに行ったのか。
明は歩き始めた。
陽が落ちきるまでに将人を見つけなければならない。

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