19


 将人は胎児のように体を丸め、ミニスカートから突き出した女の柔らかい腿に頭を乗せていた。
将人は長い潜水から海面に顔を出す時のように、深い息をして、目を開けた。
頬が感じていた他人の体温も、目に入ってくる光も、今吸い込んだ息も、五感に感じるすべてが新鮮だった。
光に目が慣れると、自分が見上げている、丸みを帯びた女の顎の線が見えた。
将人はその顔に見覚えがあった。火灯美だった。
明と襲撃に行った倉庫の中で、突然、頭にがつんと来た衝撃を思い返した。
自分は、撃たれたのだ。
なぜ火灯美がここにいるのか。不思議に思いながら将人は頭を上げた。
火灯美は大きく目を見開いて、将人を見下ろしている。まるで現実には起こり得ない出来事を見てしまったような、驚きの表情だった。
将人はそんな彼女の様子を目の端に止めながら、頭を持ち上げて、自分がいる場所を見回した。
木目調の壁に、清潔感のあるアイボリーの調度品が簡潔に並べられた広い部屋。自分と火灯美が大きなベッドの上にいるのと、そのヘッドボードの作りから、ここがラブホテルの一室だと分かった。明が手配した隠れ家だろう。
 将人はゆっくりと室内を見回してから、火灯美に視線を戻した。
「君が、なぜここに?」口の中が乾いていて、声も自分の物とは思えないくらいしわがれていた。
火灯美は大きく目を見開いたまま将人を見つめていた。
しわがれた声が聞き取れなかったのだろうか。将人は咳払いをして、注意深く声を出した。
「なぜ、君がここにいるんだ?」
「あなた……生き返ったの?」声が震え、目に驚きがあった。
 火灯美は山野組の若い衆にここに連れてこられ、頭に大けがをした将人に引き合わされた。こんな形で将人に再会するとは思っていなかったが、不思議なくらい抵抗無くこの状況を受け入れていた。
血まみれの将人を見ても取り乱すことなく、その最期を看取ろうと、頭を腿に乗せて血の気が引いた横顔を見おろしていた。
友達の死体を見た後に、死んでゆく男を見ることになるとは。自分の周りは死体だらけ。なぜこんな事になったのだろう。
将人の頭の傷は、銃器の知識をまったく持っていない火灯美にも、銃で撃たれたものだと想像がついた。
ひとめで好きになった男。その男と再会を果たしたとき、彼は死にかけている。金で身体を売る自分にはふわしい状況だと思った。
せめて、将人の最期の苦痛を少しでも自分が和らげることができれば、と祈るように見つめていた。ところが、将人は目を開けたのだ。それどころかしゃべっている。
「そう簡単に死ぬもんか」
将人が答えた。
火灯美は血で固まった将人の髪に触れた。ぽっかり口を開けていた傷を見るためだ。
そっと持ち上げた髪の下に、傷はない。代わりにピンク色の皮膚があった。
傷のあったところに頭の内側から持ち上がってきたように、皮膚が張っているのだ。傷は治っていた。
火灯美は自分が見たものを信じられなかった。
「奇跡よ。奇跡が起きたんだわ」
「奇跡、かなぁ」将人は火灯美の膝から起きあがった。
「信じられないだろうけど、こういう体質なんだ」
「体質?」火灯美は目をまん丸に見開いている。

 将人は火灯美に自分の身の上をそのまま話した。自分が武道家であり、一子相伝のしきたりのために弟が家出したこと、クラウンの存在。誘拐され、改造された肉体。そして脳改造。
 長い話だった。戻ってきたばかりの記憶をひとつひとつ確かめるように、将人は話した。
火灯美はただ聞いていた。
その内容はとても信じられなかったり、理解できないものだったが、疑うことなく聞いていた。将人の様子は作り話をしているようではなかった。
火灯美は、将人を受け入れていた。自分が誰かを受け入れるのは初めてかもしれない、と気がついた。それは、将人に自分を受け止めて欲しいという願いの裏返しだ。
この人に言われれば、クスリもやめられる。この人に言われれば、こんな仕事もやめられる。
火灯美はそう思った。そして、この思いを伝えたかった。

△先頭