21
前沢が命を落とす数時間前。
社長室の厚いドアを通しても聞こえるくらいのボリュームで、エレキベースが鳴っていた。
協和建材の社員たちは、終業時間を待っていた。うるさくて仕事に手が着けられない。元々仕事など無いようなものだったが、それでもちょっとした伝票処理くらいはやらなければならない。だから、年老いて体を壊した元侠客が小指の無い手で伝票を操ったり、中学も卒業していないような元暴走族がパソコンのキーボードを叩いたりしていたのだ。
しかし、今はできない。
隆男が社長室にこもったまま、甲斐バンドを聞いているからだ。
隆男は椅子に身体を埋めて、考えていた。いや、悩んでいた。
昼過ぎに、工藤が取り引きしていた台湾の組織から電話があった。
仲間が殺され、取引ルートが断ち切られた。
これからどうなるのかという話だった。
そつなく受け答えしたつもりだった。
新たに自分が山野組の担当者としてルートを任されることになるだろう。だから、全て俺に言ってくれと。
すると、先方は四人の仲間を殺した犯人を引き渡せと言った。
隆男は、明を引き渡すつもりも、その身代わりを渡すつもりもなかった。
自分の身内も殺されているので、犯人はこちらで処分すると答えた。筋は通っている。
ところが、電話の向こうで相手はこう言ったのだ。
「あなたたちに処分できますか? 奴の戦闘能力を甘く見ない方がいい」
隆男は連中も警察に情報ルートを持っていると気付いた。それだけではなかった。
「街に戻ってきた時点で手を打つべきだったんじゃないですか。工藤さん、奴が戻って来たの知らなかったんだね……カワイソウに」
「奴? 誰のことだ?」
「アナタも気がついてなかったか。まあいい。そいつの身柄、こちらがいただくよ」
「おい、待て。俺たちの顔に泥を塗る気か?」
「これはそういうレベルの話じゃないよ。我々だって、ただ敵討ちをしたいんじゃないよ。奴を片付けたい。片がついたら、ビジネスはアナタと続けるよ。少し、条件変えてもらうかもしれないけどね」
「どういう意味だ?」
「とぼけるのは良くないよ。この騒ぎを起こした奴、始末した方が、あなたも助かるんじゃないかね。」
隆男は焦った。コイツらはすべてを知っているというのか。
「このままだと、あなたの手に余ることになるよ」
隆男が言葉を返す前に電話が切られた。
やはり、台湾の連中は知っているのだ。
いったいどうすればいい。
いや、どうしようもないのだ。このまま放っておくしかない。
明が殺され、台湾人とは屈辱的な条件で取引をすることになるだろうが、組織は自分のものになる。
失うものと得るもの、どちらが大きいか考えるようなことではない。他に選択肢はない。
隆男が諦めた頃、再び電話が鳴った。
明を片付けたという連絡なのか。
隆男は慌てて受話器を耳に押し当てた。
「隆男か。ワシだ」
受話器の向こうからは老人の声が響いてきた。
聞きなれた声だ。山野組組長、塚本安蔵。
組長といっても実際は隠居の身である。
こんなときに、工藤の葬式の相談か。隆男は舌打ちしたい気分だった。
「工藤をやったのは、オマエなんだってな」
「えッ?」
「言い訳はいらん。ある筋から聞いた。人の道からは外れた行為だが、済んでしまったことだ。今更罪は問わん。すべてはワシの胸にしまっておく。工藤の跡目はオマエが継げ」
ある筋? どんな筋だ。と隆男は思った。そして、工藤殺しの罪を問わないことも意外だった。
「但し、街に戻ってきた若いヤツ……明は諦めろ。分かったな」
吐き捨てるように言って、隆男に返事をする間も与えず電話を切った。
隆男はぞっとした。山野組組長を動かすほどの圧力がかかったのだ。隆男の一種の組織に対する反逆を、無かったことにするほどの圧力。ただ独り、明の命を奪うために。
明の命を奪おうとしているやつらは何者なのだ。
もはやどうすることもできない。隆男は明の死を確信した。
悲しいことだが、卓越した、いや文字通り想像を絶する戦闘能力を誇る明でも、今回の相手にはかなわないだろう。
隆男ははっきりと恐怖を感じていた。その冷たい腕から逃れようと、ステレオのボリュームを上げた。