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悦子と火灯美は、ホテトルの事務所に戻るためタクシーに乗っていた。
中年の運転手は、短いスカートからのびた二人のふとももに、ミラー越しに遠慮のない視線を送っていた。ラブホテルに無線で呼ばれて、女が二人乗れば、何をしてきたか、聞かなくてもわかる。
悦子と火灯美は何となく黙ったまま、窓の外を流れる去るオレンジ色の街灯に目をやっていた。
あの男、女に触れるのは何年ぶりだったのだろう。
悦子は考えた。
刑務所を出たばかりだったのか。とても女に飢えていた。
悦子の全身はしゃぶり尽くされたようにけだるい。どれだけされたのか、回数も定かではない。あそこはすり切れたような痛みを訴えている。
でも、悦子は荒々しく扱われることが嫌いではなかった。今つきあっている、山野組の準構成員、といってもただの暴走族上がりだが。彼のセックスも荒っぽい。
しかし、さっき相手にした男は、暴力的な行為の最中にも、それを快楽に変える技を持っていた。これでシャブでも使われたら、自分はあの男の思うがままに動かされる、意思を持たない人形にされてしまうだろう。
もしそうなったら、あの男を憎むことも嫌うこともできず、離れられなくなるに決まっている。悦子の心の片隅には暗闇がある。
暗闇を覗いてみたい。明から与えられた快楽がよみがえる。
本当に自分は淫乱だと思う。
その思いが、悦子をたかぶらせる。
あの男の指、唇、舌……翻弄される自分が愛おしい。
悦子は、突然気がついた。あの男、見たことがある。
悦子はショルダーバックから携帯電話を引っぱり出した。彼氏の孝彦に電話をするのだ。
あの男は、山野組から手配状が出されていた。
賞金がかかっている。確か、孝彦はそう言っていた。
火灯美は携帯のボタンを押す悦子をながめていた。
孝彦にかけているのだろう。仕事の後の厄落としと称して、睦み合うに違いない。
孝彦は丸顔で小太り、まったく似合わないリーゼントを乗せた、教養にまったく縁のないタイプ。悦子の好みは、彼女には理解できない。
火灯美は目を閉じた。将人の横顔が浮かぶ。
名前も聞かなかった。なのに、もう一度会いたいと言ってしまった。
自分はどうかしてる。一目惚れなのか。初めて会った男に、こんなに心を惹かれるなんて。初恋に舞い上がった小学生じゃあるまいし。
金になる話があるよ。と、悦子の明るい声が耳に飛び込んでくる。
無邪気な声だ。子供っぽいのは自分だけじゃない。
火灯美はそう思った。
深夜。腹にずんとくる低音をけたたましく響かせて、一台の車が走っている。スプリングを切りつめて、地面すれすれまで車高を落とした黒いクーペ。
排気音は派手だが、速度は制限速度の少々上くらい。運転者は警察に目を付けられたくないらしい。
ステアリングを握る孝彦は、まっすぐに前を見つめている。
助手席に悦子。グローブボックスには自動拳銃。
孝彦は腹を決めていた。グローブボックスの中で、サスペンションが路面に突き上げられる度にゴトゴトと重たい音をたてている拳銃を使う。
兄貴分にねだりにねだって、かなり強引に手に入れた中国製のトカレフ。軍用拳銃にしては少々小ぶりな拳銃だが、その銃口から放たれる、直径8ミリもない銅で覆われた軍用弾頭は、音速を超える速度を持つ。強力なことでは定評のあるマグナム弾をストップさせることのできる防弾チョッキをも、撃ち抜く威力だ。
孝彦がこれまでにトカレフを撃ったのは一回だけ。譲り受けた次の日に、山奥で空き缶を撃った。銃声は思ったより大きく、反動は思ったより小さかった。
人間を撃ったことはないが、撃つことが恐怖ではなかった。これはチャンスなのだ。
山野組が全国に回状を出した賞金首を見つけた。金だけではない、組のナンバー・ツーで実質的に組のすべてを仕切っている工藤に、自分を売り込むいい機会なのだ。
金と出世。この二つが同時に手に入る。人殺しをためらっている場合ではない。
孝彦がちらりと横を見る。窓の外を流れ去る街灯に照らされて、悦子の横顔が明るく浮かぶ。
いい女だ。
孝彦にとって、自分にかしづき常に後ろをついてくる悦子は最高の女だった。
それに、悦楽のツボも心得ている。
「なんでゆっくり走ってんの」
孝彦の視線に気づいた悦子が話しかけた。
「大仕事の前だ。捕まったら馬鹿みたいじゃねえか」
孝彦は視線をおろし、悦子の足を目で犯す。
「誰もいないじゃん。ばーっと飛ばして、早いとこ行って、ぱっぱっと済ませようよ……あたし、眠くなってきた」
この緊張感のなさ。
普通とずれた悦子のテンポが、孝彦の怒りっぽく暴力的になり易い短絡的な性格を緩和して、安らぎを感じさせていたのも事実で、二人はつきあって一年ほどになる。
しかし、さすがにこの瞬間はいらだちを覚えた。
「そんな簡単なもんかよ」
「ネズミ捕りに引っかかったって、オマワリはダッシュボードの中なんて見やしないよ」悦子が同意を求めるように、孝彦に向かって笑顔を見せた。
そうかな、という気がしてくる。
俺はびくびくしすぎてるんじゃないか。臆病風に吹かれたってやつか。俺はこんなところでびびってるただの小心者か。……いや、違う。
孝彦はアクセルに乗せた足をいったん浮かせ、ぐっと踏み込んだ。
トランスミッションが低いギアを選び、車は後ろから押されるように加速する。
「よし、ぱっぱっと片づけよう」
高まったエンジンの音は、大型の獣の咆吼を思わせる。
悦子はその音に身を任せたように、体の力を抜いた。
いつか、エンジンをふかして全力で走っているこの車の中で、セックスがしたい。それほどに、太いマフラーからほとばしる排気音が好きだった。体の芯が痺れるようだ。