将人は明の部屋にいた。
将人は一口でやめてしまったが、明はルームサービスでフライポテトとソーセージをオーダーし、ビールを飲み続けていた。
 「麗と優? さあ、聞いたことないな」
明は将人の夢の話を聞かされていた。
クラウンの基地で見かけたことがあるだけの関係だ。将人の周辺の人物など知りはしない。
適当に話を合わせたほうがいいのかとも思ったが、将人には働いてもらわねばならない。そのためには信頼されなくては。
「夢に出てくるってことは、おまえにとって大事な人間なんだろうな。……俺たちは、巨大な秘密組織に捕まっていた」
「巨大な、秘密……組織?」
明は将人の置かれた状況をかいつまんで話すつもりだ。
映画やドラマなどでは、記憶喪失者はちょっとしたきっかけで記憶を取り戻す。将人が記憶を取り戻せば、自分は戦力を失う。
将人にはしばらくの間、記憶のないままでいて欲しかった。だから、記憶を甦らせるきっかけをあたえぬように、クラウン、ガイボーグなど印象的な言葉を避ける。
「不思議そうにいうなよ。俺たちが簡単に小銭泥棒できたのは、生まれつき力が強いからだと思ってンのかよ」
将人は自分の手のひらが、プレス機のように自動販売機のスチール製の外板を変形させたことを思い出した。
「じゃ、この力は?」
「与えられたものだ。その上おまえは、記憶をいじられた……」
「……」
将人は夢の意味を考えていた。麗と優は、自分の記憶ではなく、誰かに操作されたものなのだろうか。
そう思ったとき、将人の脳裏に、女の白い顔が浮かんだ。
表情は見えない。ただその目が冷たく、刺すように将人を見つめている。
「将人」
明が呼びかけた。
将人の意識の中にいた、女の顔が消え失せた。
「なにか、思い出せそうなんだ……」
思いがけず、その将人の声には苦悩があった。
「無理をしちゃいけないぜ……思い出すにはつらすぎることから、精神を守るために忘れるってこともあるらしいからな」
「つらすぎること?」
聞き返した将人の脳裏に、女の冷たい眼差しだけが甦える。実験動物を見るようなあの目。
なぜそんな目で、自分を見るのか。
「焦るなよ……落ち着いたほうがいいぜ」
そうかもしれない、と将人はうなずく。
きっと明の言うとおりだ。焦っても、記憶の断片はきちんとした形をとろうとはせず、指の間からこぼれ落ちてしまうのだ。
明は立ち上がって冷蔵庫を開けた。ビールは飲み干してしまった。チューハイでも飲むか。そう思ったとき、ドアのチャイムがなった。
「隆男さんだろう。出てくれ」
明の指示で、将人は立ち上がる。
将人はドアノブに手をかけ、ロックをはずした。と同時に、ドアは外側から強い力で押し開けられた。
将人は軽くステップバックして、向かってくるドアをかわす。
部屋に孝彦が飛び込んできた。
「動くな!」
叫びながら、拳銃を握った腕を伸ばす。
明がソファから腰を浮かせた。飛び込んできた野郎は自分に拳銃を向けている。隆男に騙されたのか? 
将人は飛び込んできた男が拳銃を構えるのを見つめていた。
孝彦は視野の隅で将人を捉え、戸惑った。明だけかと思っていたが、もう一人いた。
銃口は奥にいる明に、視線は将人に向いている。
将人の体は、考えるより先に動いていた。
体を開いて、右の手刀を孝彦の銃を握った手首に叩きつける。
骨がくしゃりと潰れた。
孝彦は痛みより先に、右手を襲った衝撃に拳銃を手放した。
将人は流れるような動作で、左の回し蹴りを孝彦の腹部にたたき込む。
拳銃が床に落るのと同時に、体をくの字に折った孝彦が崩れ落ちた。
明は冷静に将人の動きを見ていた。速い。しかも的確に攻撃をくわえている。
やられた男は、もう二度と拳銃を握ることはできまい。砕けて皮膚を突き破った骨は、神経もずたずたにしているはずだ。
男が倒れると、その後ろに廊下に立っている女の姿が見えた。さっきまで部屋にいた女だ。
明はバネで弾かれたように、戸口に向かった。
 悦子は何が起きたのか理解できていなかった。孝彦が部屋に踏み込み「動くな」と言った瞬間、倒れたのだ。
次の一瞬で、明は部屋の奥から悦子に襲いかかる。
逃げなきゃ。悦子は逃げ出そうときびすを返した。
背中を向けた悦子は、明にとって大きな的だった。騒がれる前に、倒したい。
明は冷静に右の拳を腎臓に叩き込んだ。
駆け出そうとした悦子は、背中から腹に向かって突き抜けるような激しい衝撃をくらい、前のめりに倒れた。
カーペットを敷いた床に激しく頭を打ちつけ、ぐったりとなる。
明はかがみ込んで、悦子の体を持ち上げた。
部屋から出てこようとしていた将人を押しとどめ、悦子を担いで部屋に戻る
 明はバスタオルを裂いて、ロープのようによりあわせ、孝彦と悦子の手足を縛った。別のタオルで二人に猿ぐつわを噛ませる。孝彦も悦子も気を失っている。
 「この女がさしたんだな」
バスルームのタイルの上に悦子と孝彦を横たえ、明が見下ろしている。
将人は明の横に立っていた。
「さした……って?」
「俺がこの街に戻ってきたと、コイツに教えたんだろう。俺には賞金が掛けられてるから」」
この二人をどうするんだろうと将人が思ったとき、ノックの音が響いた。
将人と明は顔を見合わせる。
「今度こそ、隆男さんだ」
明は言い捨てて、ドアの方へ歩いてゆく。
明がドアを開けると、隆男が入ってきた。部屋の中を見回す隆男と、バスルームの中の将人の目が合った。
ガラス張りになっているので、バスルームの状況は一目瞭然だ。隆男の視線が身を横たえている二人に移る。
「変なプレイを楽しんだんじゃないだろうな」
隆男はにやりと笑った。何が起きたか、想像がついているのだろう。
「意外と早く見つかっちゃいましたね。片付けてもらえますか?」
「わかった。おまえたちにはすぐにここを出ろ。夜が明けたら、仕事だ。取引がある。行ってぶち壊してこい」
「はい」
明はにやりと笑った。隆男の行動は早い。こんな日のために、工藤の動向を普段から調べていたに違いない。
「嬉しそうじゃないか」
「そう見えますか?」
「応援は出せない。おまえたちだけでやるんだ。相手は最低でも六人。全員、銃を持っているはずだ……」
隆男は声をひそめた。
明の自信に満ちた態度が、かえって不安だった。
こいつは本当にやり遂げられるのか? 
捕まって口を割るようなことになれば、自分はおしまいだ。コンクリートで固められて海の底か。
「俺たちに、用意してもらえますか?」
明は右手で拳銃の形を作って、人差し指を隆男の胸に突きつけた。
本当は銃など必要ない。明たちの戦闘力はちっぽけな飛び道具以上だ。しかし、今から手の内を明かす必要はない。
隆男は上品な仕立てのジャケットのすそを持ち上げて、両手を背中に回す。前に出した両手には拳銃が握られていた。
右手に自動拳銃。左には銀色のリボルバー。
「ベレッタとマグナムだ。弾も五十発づつ用意してある」
ポケットから弾丸の紙箱を出す。
 将人は明が隆男から拳銃と弾丸を受け取るのを見ていた。
自分は今までもこんな事をしていたのだろうか。
拳銃が必要な生き方を。
冷たい目の女がフラッシュバックした。
「あなたは最高の兵器なのよ」
女は将人に告げた。
女……しおん。
そう、女の名は紫苑だ。
だが、なぜ俺が最高の兵器なのだ。
気になったのは夢で見た戦いの情景。
相手の青年は誰なのか。
自分の体を取り巻く黒い影は何なのか。
戦いを止めようとする、麗と優。
あの戦いのために自分は「兵器」となったのか。
将人にはわからない。

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